「勘違いの高級感」は前置きです

勘違いの高級感。


インスタント食品を1週間でどれくらい口にするだろうか。よくコンビニで、お昼にカップ麺にお湯を入れている人を見る。


インスタント食品というのは、簡単かつ短時間で調理できるように加工され、保存性を持たせたもので、戦場や登山や災害の時に用いられる。そして、今では「〇〇堂のラーメン」などが、スーパーやコンビニなどで、いい値段で売られたりしている。


食べるモノがない時の「非常食」と認識しながらも、僕らは「面倒くさいから」という理由で、普段の生活に導入している。ほとんどの人の住居には大なり小なり、キッチンはついているだろう。そのキッチンで調理するより、お湯を入れるだけの方が遥かに楽だから。


このように、「人は進化するほど退化する」といった負の対価を得る。


そこで、インスタントラーメンに「〇〇堂のラーメン」といったような名前をつけられると、ちょっと質のいいものでは?と勘違いしてしまう。「カップに麺を閉じ込める」と「高級感」は両立し得ないことは誰でも解かること。


ジョージ・クルーニーが高級感漂うインスタントコーヒーの宣伝に出てたけど、「ジョージが家で飲むか!」と、みんなTVに突っ込みを入れていたのは記憶に新しい。



最近の宣伝文句である、「〇〇のものをこの値段で!」という「安いのに美味い」みたいな対比を使って、「価値を手に入れた」と思わせる、偽った満足を得る表現に騙されてはいけない。


「〇〇堂のラーメンを家で味わえる」のと「〇〇堂のラーメンを食べに行く」では、価値が全く違う。「〇〇シェフのケーキを家で味わえる」と「〇〇シェフのお店にケーキを食べに行く」も同様だ。コラボしたラーメン屋の店主も、ケーキのシェフもジレンマだろう。


つまり、「面倒くさい精神で満足を得る」というのが、勘違いの元である。


その「勘違いの高級感」の原点は、それで育ってしまった人が考え、作っているので、責めてもしょうがない。「真にいいものには、素材にもこだわり、手間がかかっている」という当然のことを知らないのだから。大半は「大人の事情で」ってことが多いけど。


「勘違いの高級感」という話は前置きで、「面倒くさいから」と言って、コンビニ弁当やインスタント食品ばかり食べてる忙しい人。


この「面倒くさいから」という添加物のせいで、本来備わっているはずの「モノの価値を感知する」という機能が低下する恐れがあり、「いつか思考力とカラダを壊すから気を付けて」と、誰もが思う当たり前のことを、感じ悪く綺麗にまとめたのが本日のブログです。



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