「気づき」「学び」という田舎っぽさ


自分が数年前まで使っていなかったのに、今は使っている言葉があるとしたら、何故使っているかを説明できる必要がある。


例えば今、あなたの周りで「オッケー牧場」と言ってる人はいるだろうか。冗談ではなく真面目に使っているなら、あなたは親切にこのように言ってあげると思う。


「店長、オッケー牧場って、もう誰も使ってないですよ」って。


言葉という道具を自分の知的な装備品にすると決める場合は、それが刃物のような言葉であるなら、相手からは「刃物を持っている人」だと認知されることになる。


自分の武器倉庫にある武器は全部自分で管理しないといけない。つまり、刃物を振り回した挙句、「あっ、刃物だって知らなかった。てへっ」では済まされない。


匿名で誹謗中傷とは「覆面をして平気で人を刺す」ということだ。今は覆面を剥がされちゃう時代だけど。


話を戻すと、つまるところ、安易に「オッケー牧場」のようなモノを手に入れてはいけない。数年前に存在しなくて、数年後にはなくなってしまうような道具は、誰にも必要なっかったモノだ。


日頃から自分の武器倉庫の整理ができてる人は、ほとんど中身が変わらない。「オッケー牧場」や「マジ卍」など言わなくても済む言葉を持っているからで、それが言葉の豊かさだ。


そう言うと、「言葉って生きている。時代に沿って新しい言葉は生まれる。それを否定するのか」って店長は言い返してくる。


それなら、ずっと「オッケー牧場」って言ってろよ。流行ると使い、今はもう古い。というような消費には意味がない。それでしかいい表すことができなかった。という証拠である。

流行を好む人は言葉に限らず、他人の評価で動く。みんながやることを消費するのは楽だからだ。自分が数年前に使ってなかった言葉を、さも頭が良くなったかのように使いたがる人を見ると、「この人の武器倉庫にはスペースがたくさんあって、更には鍵もついてないんだな」と感じる。


「気づき」「学び」という言葉をたくさん使いたがる人をSNSでよく見る。そういう人の特徴は「自分が育った環境にはなかったこと」を「発見した」と言いたがる人の良くない部分だ。


そういう人にとっての「エウレカ」という言葉が「気づき」「学び」に集約されている。「学び」と連発する人は、私は過去に学んで来なかった。私が育った環境にはそれは存在しなかった。という田舎っぽさの宣言だと知ってほしい。



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